光線銃SPの思い出
ガキの時分の浅はかさを未だに悔いる


【お年玉で買った光線銃SP】
 俺が小学生だった頃、任天堂から「光線銃SP」というおもちゃが発売され、非常に話題になった事があった。

 当時、俺はこれが欲しくて欲しくてたまらなかった。テレビのCMでは、銃からビビーッと、いわゆる「光線」が発射される様子が流されていて、そのイメージが強烈だったのだ。今でこそ「そんな特撮みたいな、目で見える光線が出るわけないジャン!」と言えるけど、一介のガキだった俺にそこまで考える力はまだ無かった。

 この「光線銃SP」は拳銃タイプやライフル銃タイプなどバリエーションがあり、そして標的は別売りだった。一番安い物が拳銃タイプで定価980円。当時の980円は今の感覚にすれば4〜5千円くらいだろうか? 親戚からもらったお年玉の合計が4千円行って大喜びしてた頃の980円だ。かなり高かったという事がわかる。

 とにかく、俺にとってはこの980円の拳銃タイプひとつ買うだけで精一杯だったのだ。実際に遊ぶためには別売りの標的も買わなければならなかったが、標的を買う余裕は無かった。と言うか、買わなくても大丈夫だと考えていたのだ。なぜなら、この銃からテレビCMのように、目に見える光線がビビーッと発射されると想像していたからだ。

 「光線を打ち合って遊べるから、標的はいらない」

 友達が撃った光線をササッとかわしながら、自分もビビーッと光線を打つ光景を想像し、一人悦に入っていた。そしてお年玉でもらったお金をつぎ込んで、銃だけを買ってきたのだ。

 勇んで買ってきた光線銃だが、しかし、期待したような「光線」は出なかった。引き金を引くと、「カチン」という安っぽい音と共に銃口が一瞬ピカッと光るだけの物だったのだ。・・・ア然とした。

 銃を分解して調べてみたら中には豆電球が入っていた。豆電球を瞬間的に光らせる構造の銃と、太陽電池を利用して光に反応する標的の組み合わせ・・・。そういう商品だったのだ。

 「おもちゃの拳銃」としての出来も、当時の俺の目から見ても安っぽく、その点でも幻滅した。こんな単純な物が、こんな高価な値段で売られている・・・。子供心にも「失敗した!」と思った。

 これでは想像していたような遊び方はできっこない。本来の遊び方は標的が無ければできないが、標的を買うお金は無い。・・・ダメじゃん。自分の考えの浅はかさにガックリしたのを今でもよく覚えている。

 この事件以降、「テレビCMの映像には嘘がある」という事を強く意識するようになった俺なのだった。そして今でもおもちゃのCMで、「実際には自走しません」とか「この映像はイメージです」とか、小さい文字で注意書きが出ているのを見ると、苦笑してしまうのだ・・・。


【謎の光線トランシーバー】
 岩手県人にとって盛岡はまさに文化の中心地である。愛知県人にとっての名古屋、北海道人にとっての札幌みたいなものである。

 俺が小学校の頃、盛岡に行くと川徳デパートに行くのが一番の楽しみであった。川徳デパートというのは盛岡の老舗の百貨店で、今でも岩手で一番有名なデパートだと思う。仙台なら藤崎デパート。名古屋なら松坂屋に相当する店といった所だろうか。

 小学校のバス旅行で盛岡に行く時は、川徳デパートがコースに含まれていた。今で言えば、ちょっと大袈裟だけど、ディズニーランド的な存在であった。

 我々小学生にとって川徳デパートでの楽しみは、屋上のゲーム施設とおもちゃ売り場だった。自分の田舎の小さなおもちゃ屋と違って、非常にたくさんのおもちゃが売られていて見ているだけでもワクワクした。

 そして棚の上の方には、とりわけ大きな箱の、いかにも高そうな、(田舎の小さなおもちゃ屋では絶対に扱っていないような)おもちゃが展示してあった。

 その中で特に俺の興味を引きつけたのが

 「光で通信するトランシーバー(・・・らしき物)」

 だった。

 覚えているのは、箱の絵から想像して、光を使って通信しあうトランシーバーみたいな装置だという事だけ。名前も覚えていない。値段もわからない。手に取った事も無い。下から箱を見上げていただけだ。その箱の大きさ、棚の最上部に誇らしげに展示してある様から見て、相当に高価な物である事は容易に想像できた。

 今では携帯電話を持ってるのが当たり前なので、トランシーバーの存在意義はほとんど無くなってしまったが、当時は「遠くにいる人と(誰にも邪魔されずに)自由に話ができる」というトランシーバーはとてつもなく素晴らしい物であった。実際、おもちゃのトランシーバーは子供に大人気で、かなりの種類が売られていた。親に買ってもらって遊んだ経験がある人も多いはずだ。

 それらのトランシーバーは当然、全て電波式であった。今みたいな光ファイバーによる光通信なんてほとんど誰も知らなかったのだ。そんな頃にいきなり光によるトランシーバーなのだ。

 子供の頃から「将来は科学者になる」と自負していた俺なので、「こいつは凄いおもちゃだぞ」と、憧れの目で見上げていた。しかしそれを買ってもらおうなどと思う事すらなく、月日は流れたのだった・・・。


 大人になってからこの事を思い出し、「あの当時、光で通信するなんてアイデアは凄いよなあ・・・」「しかも、おもちゃとして売ってたもんなあ・・・」と感心した。

 そして最近になってやっとその正体が判明した。その名は「光線電話LT」。メーカーは任天堂。このネーミング・・・。そして任天堂・・・。もしや・・・。

 そう、この光線電話LTはあの光線銃SPの応用商品だったのだ。銃が発する光を変調してやれば、音声通信ができるんじゃないかと考えて作られた物だという。

 実際どの程度の性能があったのかは知るよしもないが、光線銃SPで痛い目にあった思い出のある俺としては、嬉しいような悲しいような、ちょっと複雑な心境なのだった。


 ちなみにこの光線銃SPや光線電話LTを開発したのは、後にゲームウォッチやゲームボーイを開発した故・横井軍平氏であったという。

 横井氏が手がけたおもちゃは

 「ウルトラハンド」(いわゆるマジックハンド)
 「ウルトラマシーン」(ピンポン玉でやるバッティングマシンね)
 「ラブテスター」
 「ウルトラスコープ」(鏡を使って高い所を見る事ができる)

 などなど、子供の頃に話題になった物、印象に残っている物が非常に多い。かなりのアイデアマンであったと言えるだろう。

[2004/02/22]


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