東日本大震災の記録
(1)発生当日

2015年3月、当時を思い出して


【東日本大震災から4年】
 「あの日」。2011年3月11日から丸4年。

 仙台の街並みだけを見れば、当時の傷跡はすっかり消えており、既にあの頃の記憶が薄れつつあるのを感じる。

 しかし沿岸に近い町では、裏通りに入ると、ぽっかり何も無い区画があるのをしばしば見かける。そこは元々家が建っていたのだが、持ち主が家の再建をあきらめたため、サラ地になっている場所なのだ。

 表通りの商業地区だと、元の持ち主が再建をあきらめても別の事業者が買ったり借りたりして新しいお店を出したりできているが、個人の家ではなかなか難しいようだ。

 というワケで、あの当時の記録を読み返してあの頃どんな事を考えていたか、何が起こっていたかをまとめてみた。(我が家は宮城県の沿岸部にあります)

(震災発生時)
 当時、俺は家にいた。次男も卒業式直後だったので、同じく家にいた。

 そこに突然かなり強い揺れ。

 後の震災特番とかでは、家具が倒れたりして部屋の中がメチャクチャになっている所などが放送されているが、幸運にもウチの辺りは地盤が強いようで、我が家では棚から皿が何枚か落ちたり、本棚から本が落ちる程度で済んだ。

 居間にあった金魚鉢からは水もこぼれなかったし、テレビのラックや本棚、食器棚、たんすなどは倒れなかった。(左の写真は散乱したCDの写真。スピーカーは倒れていない点に注目)

 揺れはかなり長く続き、途中2度ほど強い揺れが加わったように覚えている。この揺れの最中に停電した。

 宮城県では、1978年に起こった「宮城県沖地震」での被害の教訓から、テレビやラジオでしつこいくらい「近い将来発生が予想される宮城県沖地震」と呼びかけられており、県民は対策や心構えをするようにしていた。

 だから、この激しい揺れに

 「きたぞ! これが宮城県沖地震か!」

 と思った。

 特に慌てる事は無かったが、残念ながら津波の心配は全くしなかった。

 津波はリアス式海岸の三陸地方に起こるもので、直線的な砂浜が続く宮城県南部のような海岸ではその心配は無い、・・・とみんな考えていた。

 実際に、ここ数年の間にも何度か津波注意報や津波警報が発令されたけど、海上の牡蠣や海苔の養殖イカダに被害が出た程度で、陸地にほとんど実害は出ていなかった。

 だから、津波の事など全く考えていなかった。

 そこに突然、ニョーボが職場から帰ってきた。

 俺「あれ?どうしたの?」

 ニョーボ「いや〜、津波が来るからすぐ帰れって言われてさあ〜」

 このやりとりだけ見ても、いかに事態を軽く見ていたかが分かる。

 当時のニョーボの職場は海岸のすぐ近くにあって、この後津波で大破するのだが、そんな事になるとは全く思わず、ニョーボが帰ってきたのが意外だったのだ。

 ただ、地震の揺れで職場の駐車場のブロック塀が倒れて、それがウチのクルマを直撃し、ボディが凹んでしまったという事だけ悔やんでいた。その程度だった。

 俺はワンセグテレビで情報を集め始めたが、この時点ではまだ「東北地方に凄い地震があった」「沿岸部では津波に注意を」。あるいは、東京でもかなり強い揺れで、ビルの屋上で火災が起こっている所がある、という程度の情報しか無かったと思う。(右の写真)

 あ、でも、大津波警報は出ていたはずだな。

 「え? 津波警報じゃなくて、大津波警報?」
 「大津波警報ってのは初耳だ!?」
 「これは普通じゃないのかも・・・」
 (実際には、これの前の年の「チリ地震津波」で大津波警報が出ていた)

 そしてワンセグテレビのニュースでは、津波の予想高さは、仙台港で10メートルと言っていた。

 「え! 10メートル?」

 さすがにこれは今までの津波とは違う、とは思ったが、まさかその津波がウチのすぐ近くまで迫っていたとは全く想像していなかった。

 ニョーボと次男が、「たぶん、もう何も残ってないとは思うけど、何か買える物があったら買ってこよう」と言って、近所にあるスーパーに歩いて向かった。

 その途中で、海岸方面から走ってきたクルマの運転手が

 「津波が来るぞーーーっ! 逃げろ!逃げろぉ!」

 と叫ぶので、二人は慌てて引き返してきた。

 引き返しては来たが、それでもまだ「いや、まさかここまでは津波は来ないでしょ?」と思っていたのだ・・・。


 高校にいるはずの長男とは連絡が取れなかった。

 東北一帯が全部停電しているらしい、という情報はあったが、ケータイは使えた。しかし電話やメールは繋がりにくかった。

 ウチのクルマはガソリンが残り少なく、エンプティランプが点いてる状態だったので、どこまで走れるか分からず、途中でガス欠になったらそれこそ一大事。

 しかしもう夜。家から高校までは、クルマでなら10〜15分ほど・・・。よし、ここは思い切って学校まで迎えに行こう!という事になった。

 外に出てみたら真っ暗だった。雪はもうやんでいて、空は見たことも無いような素晴らしい星空になっていた。

 「そうか、地上の明かりが全部消えると、星ってこんなに見えるものなのか・・・」

 と思った。

 それと、磯の臭いがするのに違和感を覚えた。ウチは沿岸部とはいえ、海岸までけっこう距離があり、磯の臭いがするような事は無い場所だ。それなのに臭いがするという事は、やはり津波の影響なのだろうな、とは思った・・・。

 坂を上り、高台を通る道路まで出たら、道路はクルマでいっぱいだった。走っているのではない。駐車している。みんな浜の方からクルマで逃げてきた人たちだ。

 車道の片側に一列になり、みんなカーラジオやワンセグテレビなどで情報を集めていた。

 浜地区がどうなっているのかは、この時点では全く分からなかった。

 高校に到着し、長男はすぐに出てきた。学校の先生からは

 「どうやって来れたんですか?」
 「○○橋が落ちたという噂を聞きましたが?」

 などと言われたが、○○橋は落ちていなかったので、ああ、デマが流れてるな、と思った。

 途中でガス欠になる事もなく、無事家に帰り着いた俺たちは、カセットコンロを使って料理を作って食べた。

 明かりは自転車用のLEDライト。暖房は無いので、通電していないコタツの中に携帯カイロを入れて、全員で入り暖めあった。(下の写真は、LEDライトやワンセグテレビの灯りの側で食事を食べているところ)


 夜中なのに、次男の友達がやってきた。親を探している、みたいな事を言っていて、

 「真っ暗だし、あまり動かない方がいいんじゃないか?」
 「行く所が無かったらウチに泊めてやるから」

 と引き留めたが、彼は出て行った・・・。

 こうして第1日目は終わった。




SHINY SHINY
作曲:岩田アッチュ
元作詞:岩田アッチュ
変詞:ロード黒沢

騒然 Black Water 津波に流されずっと
不運なこの自分を 呪っていた

手足動かず 濡れた身体
すっかり冷え切って もうあきらめてた

暗闇の中 空を見た
昨日とは違う 星がいっぱい

SHINY SHINY 満天の
星は無限に
この世界は この世界は
こんなにも美しい

SHINY SHINY 光るスターダスト
果てしのない
この世界は この世界は
こんなにも素晴らしい
そうだろ?

いびつにひしゃげた 潰れたクルマの中から
聞こえた苦しげな声も もう聞こえない

死んだのかな? 怖いけれど僕ももうすぐ
同じ運命になるんだろうなぁ・・・

Ahaaa Wooo

暗闇の中 音がした
まぶしい光 さしこんだ

SHINY SHINY 気がつけば
レスキューの腕に
この世界は この世界は
こんなにも愛おしい

SHINY SHINY 頼もしげな
君のひたいに
汗がいっぱい 汗がいっぱい
光っているから

SHINY SHINY 真剣な
君の瞳に
星がいっぱい 星がいっぱい
映っているから

SHINY SHINY 光るスターダスト
希望に満ちた
この世界は この世界は
こんなにも素晴らしい
そうだろ?

そうだろ?

※テレビアニメ「デッドマン・ワンダーランド」エンディングテーマ曲より

[2015/03/12]


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