東日本大震災の記録
(7)気仙沼方面

2015年4月、当時を思い出して


【南三陸町、気仙沼方面】
 震災から約半年が経過。気仙沼の義母が入院したというので、お見舞いに行ってきた。

 途中、南三陸町に入る前あたりから景色が急に変わった。

 まだ山の中っぽいのに、家が土台だけだったり、山の木の葉っぱが赤くなって枯れてるっぽい。こんな山の方まで津波が来たのか、と驚いた。(右の写真)

 南三陸町から気仙沼市にかけては、沿岸部は文字通り壊滅状態。立っている建物がほとんど無く、土台だけだったり、骨組みだけだったり、そんな感じ。

 JR気仙沼線の高架橋も崩れ落ちている。見上げる高さなのにそれが落ちているという事は、相当な高さの津波だったという事だ。

 気仙沼市内は意外に無事な所は無事で、津波の流れた方向によって明暗が分かれたようだ。直撃を受けた地域は全滅状態。しかも火災が発生したので、家や船が焼けている。

 半年が経過しても下の写真のようなありさまで、ほとんど荒れるがままという感じだった。



 鉄筋コンクリートの3階建ての建物が、巨人がでっかいバットで打ち壊したみたいに壊されている風景は圧巻。(下の写真)

 俺と同じように写真を撮りに来てる人が何人もいて、ある意味、観光名所みたいになってしまっている。



 下の写真は、南三陸町の中心にある防災対策庁舎跡。

 3階建ての屋上を超える津波が押し寄せ、職員は屋上に立ってるアンテナによじ登ったりして11人は生き延びたが、他の職員は犠牲になったという建物だ。

 後に立ち入り禁止になったけど、この頃はまだすぐ近くまで近づけて、千羽鶴や卒塔婆などが置かれていた。


 この見上げる高さまで海面が上がったという事か・・・。それじゃあ普通に家にいたりしたらひとたまりもないわな(-_-;

 道路わきの看板に

 「津波のバカ!!」
 「ボランティアの皆さんありがとう」
 「世界の皆さんありがとう」

 などと書かれていた。

 下の写真は、気仙沼の被災地に作られた仮設商店街。このような仮設の商店街が各被災地に作られた。


 集められた瓦礫がうずたかく積み上げられ、山のようになっていた。瓦礫の処理には、放射能を懸念して反対運動が起こった所もあったようだが、現地では下の写真のように、瓦礫のすぐ近くで子供がサッカーをしていたりしたのだった。


[2015/04/04]


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