東日本大震災の記録
(8)被災地4年目の夏

2015年4月、当時を思い出して


【被災地、4年目の夏】
 2014年8月。首都圏在住の友人が被災地を見たいというので、一緒にクルマで見て回った。

 まずは仙台市の南隣、名取市閖上(ゆりあげ)地区。この辺りは海岸からかなり内陸までずっと平坦な地形。海岸はまっすぐな砂浜なので、リアス式の地域とは違ってこれまで津波に襲われた記憶がほぼ無い地域だ。

 また、普通の漁村なので、高い建物は学校くらいしか無い。基本的に平屋か2階建ての民家が多い地区だ。

 震災の際には、平屋の家が呑み込まれるくらいの高さの津波が来たため、逃げ場の無い住民の多くが亡くなった。

 町があった場所は今ではもう何も無く、残された家の土台と路地だけが、そこに町があった事を伝えている状態だ。(下の写真)


 中心の小高い丘の上に小さい社(やしろ)があるのだが、津波はこの丘の高さくらいまで来たとの事。

 また、社の隣に津波と同じ高さの小山が造られていて、そこに犠牲者の名簿とか、当時の状況を記した碑が建っている。(下の写真)



 周囲は夏草が生い茂り、昔の面影はどこにも無い。(下の写真)

 「夏草や 町があったと 誰か知る」



【蒲生干潟】
 次は仙台港の近くの海岸にある蒲生干潟。

 以前は、鯉の養殖場とかあったのだが、周囲の民家も含めて何も無くなっている。所々に松の木だけがかろうじて残っている程度。

 被災した家屋は、原則として取り壊されて土台だけになっているのだが、ここには何故か取り壊されず、廃屋のまま残っている家もある。どういう事なのだろうか?

 さて、仙台市民にとって、蒲生干潟と言えば日和山(ひよりやま)が思い浮かぶ。

 日和山とは、干潟のすぐ近くにあったちょっとした盛り上がり。標高6メートルで、地図に記載がある山としては一番低い山とされ、以前は「日本一低い山」として仙台市民に知られていた。(その後、大阪の方に4メートル級の山が出現し、日本一の座はそちらに取られた)

 で、この日和山も津波で削られてしまい、日和山は消滅したと言われていた。

 しかし最近、標高3メートルの山として認定され、再び「日本一低い山」として返り咲いたという。

 でも現地に行ってみると、これのどこが山?(^_^; (下の写真)


 昔は、「ああ、山と言えば確かに山だよね」というくらいは盛り上がっていたが、今はもう、盛り上がってすらいないように見えるのだが? これを山と言って良いのだろうか?という疑問がわいてくる(苦笑)。


【女川町】
 次は、石巻市の北隣にある女川町。ここはリアス式の入り江にある漁港で、それなりに栄えていたのだが・・・、今回、震災後初めて女川に行ってみたら、

 こ こ は ヤ バ い。

 なにしろ町が丸ごと無くなっちゃってるのだ。

 気仙沼も甚大な被害が出たが、あっちは町が大きいせいもあると思うけど、市街地の半分くらいは助かっている。

 が、女川は全部。丸ごと消滅している。

 今は、まるで新規の造成地みたいな感じで、新しく町を作るためにブルドーザーやダンプカーが行ったり来たりしている。

 港を見下ろす山の中腹に立派な町立病院があり、ここまで登っていれば津波から逃げられた。しかもそこは病院だから、ケガの手当も出来るし。山の中腹に病院を作っておいて正解だったね!

 そう思って、その高台から町の跡の写真を撮ってきた。

 ・・・のだが、

 家に帰ってから調べてみたら、何と、押し寄せた津波は、この病院の1階部分にいても大人が水没するほどの高さだったというのだ。

 ええええ!!!

 この病院、海面から相当高い場所にあるじゃんか! 海抜15メートル以上は絶対あるよね? この高さまで海面が上がったって事?! マジで? ウソでしょ?!

 ところが、これがマジなんだな・・・。(下の写真は、その高台の病院の柱に残されている津波到達高さの記録)


 俺は「この高さなら大丈夫」と、すっかり安心していたが、そんな気持ちでいたら助からなかったというワケなのだ。

 これは現地の人も同じだったようで、高台の病院に避難し、ここなら大丈夫だと安心していたら、みるみる海面が迫ってきて「あ、ここもダメだ!」と、急いで病院の後ろにある山に登って助かった、という人がいたそうな。

 ああ、こんな高さの津波が来てしまったら、そりゃあ町も無くなるわ・・・。今さらながら愕然となった。

 この女川では、七十七銀行女川支店の銀行員が2階建ての屋上に避難していて、支店長も含めて全員津波に呑まれたという。(正確には、派遣スタッフの人が1名先に帰宅していて助かり、屋上にいた人の中でも1名は生還)

 当時の最初の津波の高さ予測は実際よりもかなり低かったし(その後何度か訂正されてた)、屋上に逃げる指示をした支店長自身も犠牲になっているので悪く言うのは気が引けるが、同じ町内の他の銀行では高台に避難して助かっているため、何ともやりきれない心境だ・・・。


【大川小学校】
 最後は北上川の河口から4キロほどのぼった所にある石巻市立大川小学校跡。

 ここは、児童たちをどこに避難させるか議論しているうちに津波が川を上ってきて、北上側沿いの土手に逃げようとしていた児童と教師たちが押し流されたという悲劇が起こった所。津波に呑まれて生還できたのは児童4名と教師1名のみ。(当日不在だったり、保護者が迎えに来て先に帰り難を逃れた人もいた)

 この事件は割と早い時期から問題視され、今(2014年8月現在)でも裁判が続いているはず。

 校舎のすぐ近くに山があり、山に逃げていれば助かったはずだが、そもそも小学校自体が「避難場所」に指定されていたので、どこか別の所に逃げるという意識が低かったようだ。

 学校を襲った津波は2階建ての校舎の屋根を越える高さだったそうで、校庭にいたらひとたまりもなかったろう。

 あれから4年目の夏だが、子供の遺体が見つからず諦めきれない遺族が、自費で周囲を掘り返して遺体を探しているというニュースをやってたなあ・・・。

 現地には立派な慰霊碑が作られていて、バスで観光客が大勢やってきて拝んでいくような場所になっている。(下の写真)



(最後に)
 今回の大震災と大津波で特に重要だと思ったのは、津波の現実が多くの映像に撮られて記録として残った点だと思う。

 それ以前の津波は、津波が去った後の被害の様子を伝える写真がほとんどで、実際に津波が押し寄せる様子がわかる映像は非常に少なかった。

 だから多くの人は、津波に対して「大波」というイメージしか持っていなかったのではないか?

 実際、東日本大震災以前にも何度か津波警報が出るような津波があったが、津波でサーフィンしようとでも思ったのか、わざわざ海岸まで行ったサーファーがいたという。

 そんな程度の認識だったと思う。

 でも、今回の震災によって、津波は「大波」などというものではなく、海面が急激に上昇する、「海があふれる」と言った方が良い現象であるという事がよく分かった。(下の写真は、仙台港近くにあるサーフィンの名所近くに残る津波高さの記録。道路表示板の高さまで海面が上がったのだ)


 こんなのが来てしまったら、人間などただ逃げる事しかできない。

 三陸地方に伝わる「津波てんでんこ」の教えの通りであった。家に戻ったりせず、とにかく逃げろ! 遠くに逃げるよりも高い所に逃げろ! 自分ひとりだけでも生き延びろ。(非情なようだが、そうでないと一族全員が死んでしまうから)

 また、震災の被害を伝えるニュースなどでは「2度とあってはならない」「(被害は)あってはならない事」みたいな言い回しが多いように思うが、被害を想定して防ぐという方法では、想定以上のものが来た時には役に立たないし、考え得る最大限の想定をして完全に防ぐのは事実上無理だ。

 私としては、

 「大地震や大津波は何度でもやって来る」
 「前は大丈夫だったから、次も大丈夫だろうなどと考えてはいけない」
 「次は自分に来ると思って備えろ」

 という風に考えたい。


 私自身はほぼ何の被害も受けず、平穏無事に暮らせているが、町内には家族を亡くした方や、家を失い仮設住宅で暮らしている方が大勢いる。

 私が無事だったのはたまたま運が良かっただけであり、津波の反射具合などがちょっと違っていれば、我が家も潰されていたはずなのだ。避難なんでこれっぽっちも考えず、呑気に家にいた私など、津波が来たら真っ先に死んでいたはずなのだ。

 だから被害に遭われた方々の事が他人事には思えず、4年経った今でも、震災の事を考えるとザワザワザワっと鳥肌が立ってしまうのだ。




OVER Flow
作曲:菅野よう子
元詞:岩里祐穂
変詞:ロード黒沢

希望と名がついた ものを見せてよ

どんな色をしているの?
どんなにおい?
手触りも教えて

いったい誰が 隠し持っているの?

希望と名がついた ものをいつか
手に入れる保証なんて無い

希望が欲しい
壊れるくらい

希望が欲しい
傷つくくらい

希望が欲しい
どうしてこんな私 あなた見つめるの?

愛と名がついた ものを見たわ

まぶしくて色はわからない
どんなにおい?
手触りもわからない

いったい誰がそこに?

愛がある
震えるくらい

愛がある
涙あふれるくらい

愛がある
静かな思い 私の心に広がる

希望が欲しい
割れるくらい

希望が欲しい
裂けるくらい

希望が欲しい
どうしてこんな私 あなた見つめるの?

※アニメ「ブレンパワード」劇中歌「Flow」より

[2015/04/09]


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